- 2019年10月17日
- くすのきカイロプラクティックオフィス
近年これほど話題になった映画は無いのではないでしょうか。
ジョーカーと言えば知らない人がいないほど有名なバットマンの敵役ですが、今回はなぜジョーカーが誕生したかといういわゆるエピソード0の物語です。
ネタバレにならないように書いていきますね。
はっきり言って本作、社会の閉塞感が生んだ作品と言えるでしょう。
ゴッサムでは格差が広がり、犯罪が横行、予算の関係で行政は福祉部門も予算をカット、世の中は精神的弱者にも多様性を認めず型にはめようとする。
おかしいのは自分なのか社会なのか。
主人公アーサーは徐々に追い詰められ……。
過去の作品では「タクシードライバー」などがこの手の作品になりますね。
しかし、今回ジョーカーを主人公にする事で悲劇を無理に喜劇に変えようとする狂気が描かれていると感じました。
その象徴的な部分が劇中に出てくるチャップリンの「モダンタイムス」の有名なシーンです。
モダンタイムスも時間に追われ、機械化された世の中で人間が病んでいく様を喜劇として描いています。
本来であれば悲劇であるはずなのに。
悲劇と喜劇は表裏一体。
それを実に上手く描いたのがチャップリンであり、悲劇の人生を笑いの仮面、ピエロの仮面をかぶる事で狂気の喜劇としたのがジョーカーという事ではないでしょうか。
もう一つ、現代社会を鋭くえぐった作品だと言えます。
なぜならこう置き換えられます。
格差がこれだけ広がり国民の生活が苦しいのに、消費税率はアップし法人税率は下がる。全額社会保障費などと言いながら政府はウソばかり。政府は全体主義的な政策をし、国民生活を顧みない。多様性も認めない。なのに選挙では政権与党が勝つ。これってジョークだろう‼︎もう笑うしかない‼︎「JOKER」はゴッサムの話ではない。現代の日本の話だ‼︎
とても奥が深い映画だと感じました。