今回は澤瀉屋(おもだかや)のお話をしますね。
澤瀉屋と聞いてわからない人は多いとは思いますが、香川照之を知らない人はいませんよね。
彼の歌舞伎での屋号が澤瀉屋になります。
彼と父猿翁(3代目猿之助)との関係はワイドショーなどでも散々取り上げていたのでここでは書きませんね。
この猿翁さんが現在の歌舞伎においてとてもカギになる存在ですのでそこからお話します。
猿翁さんが3代目猿之助を襲名した頃、歌舞伎は様式にとらわれ、江戸時代からの歌舞伎とはかけ離れたものになっていました。
初めて歌舞伎を観る人が「仮名手本忠臣蔵」などを観ても退屈で寝てしまうと思います。
そんな歌舞伎ばかりが演じられていました。
本来、歌舞伎はエンターテイメント性の高い演劇です。
しかし明治の演劇改革、新歌舞伎辺りから様式が重要視されて 行ったように思います。
荒唐無稽な物は演じないという事ですね。
そこで3代目猿之助はもう一度江戸時代の楽しい歌舞伎を復活させる活動をはじめました。
「けれん」の復活です。
具体的には、早替わり、宙乗り、本水など江戸時代に普通に行われていた演出を復活させました。
(歌舞伎美人より)
ちなみに歌舞伎は、廻り舞台、せり上がり、宙乗りなど西洋演劇よりも先に行われておりとても革新的な演劇だと言えます。
僕がよく「歌舞伎はなんでも飲み込んでしまう怪物の様な演劇」だと言うのはそういう点です。
新しい発想の元でなんでも取り入れて行くのです。
ただ、当時3代目猿之助が「四の切り」などで宙乗りをしてもサーカス歌舞伎とずいぶん揶揄されたようです。
しかし、今では宙乗りは当たり前の演出になりました。
尾上菊五郎ですら宙乗りしたぐらいですから(笑)
そして、ケレン味の強い歌舞伎がスーパー歌舞伎へと進化して行きます。
3代目猿之助はそれだけ重要な存在なのです。
では、現在の4代目猿之助(亀治郎)は血縁的にはどういう関係にあるのでしょう?
猿翁には弟、段四郎がいます。
その段四郎の子供が4代目猿之助になります。
すなわち猿翁さんから見ると甥、香川照之から見るといとこという事になります。
ここで問題になって来るのが猿翁さんは元々血縁で歌舞伎を踏襲しないと公言していた点です。
なのに、絶縁状態で歌舞伎のど素人に中車の名を与え、甥に猿之助の名前を譲り、その次の猿之助は香川照之の息子の団子君ともなれば今まで猿之助劇団を支えて来た役者さんたちはどう思うかという事でしょうね。
澤瀉屋の結束はずいぶん揺らいでしまったのだとと思います。
(写真は「お染の七役」と言って一人で7役早変わりをする澤瀉屋らしい演目です。恋人同士も一人で演じるんですよ。また、もう一枚は四の切での狐忠信です。この後宙乗りで3階席まで飛んでいきます。)