- 2016年11月30日
- くすのきカイロプラクティックオフィス
ポール・カラニシ著 田中 文 訳
「死ぬことを考えることは生きることを考えること」と昔聞いたことがあるが、日頃健康に生活しているとなかなか自分の死ということ、生きるということを考える機会というのは無いものだと思う。
若い時は「人生の意味とは?」とか「人は何のために生きているのか?」などと誰でも一度は考えると思うが、社会に出て日々の業務に追われ毎日忙しく生活しているとそのようなことを考えることすら無くなってしまう。
著者は脳神経外科医の研修生として日々患者さんの死と向き合って来た。その研修終了間近自分が肺がんに侵されていることを知る。治療の効果もあり一度は職場復帰を果たすがやはり病魔に勝てず、家族に見守れながら亡くなってしまう。
彼は人生の計画をしっかりと立て、研修終了後はどのような人生をその20年後はこういう事をしたいというビジョンをしっかりと持った人だった。それが全て狂ってしまう。それでも彼は希望を捨てずに職場復帰も果たし、最後は子供にも恵まれこの本も書いている。
昔から死について時間軸は無いと思って来た。
30歳の人でも80歳の人でも死への恐怖心は変わらないし死にたくないという気持ちは変わらない。
ただ、思い残しがあるかどうかだと思う。
「楠さん、あなたは癌ですよ」と言われたらどういう精神状態に陥るのだろう?それを受け入れて前を向いていけるだろうか?仮に早期の癌でもこの癌という響きでいろいろと考えてしまい精神的に参ってしまうような気がする。
「あなたの余命は1年ですよ」と仮に言われたら、どういう1年を過ごすのだろう?
死と直面した時に、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったということがいろいろ出て来るものなのだろう。そして健康である今は本当に大切なものがわからずに日々を送っているのではないだろうか。若い時に死と直面した時に心残りがあるのはこのような事なのだろう。そして子供が小さく将来が見届けられない無念さや逆縁になってしまう親に対しての申し訳なさもあるだろう。それらを克服でき納得できた時に自分の死というものも受け入れられるように思う。
先日、北斗晶さんがテレビに出ていた。1年以上治療に専念し、やっと体調も良くなり現在も治療を続けながらではあるが仕事復帰を果たしたそうである。
おそらく彼女はこれからの人生の方がより充実した日々を過ごせるのではないだろうか。
健康に感謝し、周りの友人たちに感謝し、何より一番大切で支えになる家族に感謝し。
そして生きていること自体に感謝して。
日頃健康な僕たちはなかなか立ち止まってそのような事は考えられないが人生の先輩たちの経験談、体験談などを通して人生の中で本当に大切なそれぞれの何かを見つけてそしてその時が来た時に心残りが無いように日々の生活を送っていければいいのではないだろうか。とても難しいことではあるが。